だから仏教では「これをやったら死んで地獄へ行きますよ」という方便を使って人々
を教育しました。人々は震えあがって、「これは一生懸泡菜 食譜命守らなければいけない」と思
った。ところうが、現在の教育では、「何も知らない子供たちに自発性とか自主性とい
うだけで。肝心の「やってよいこと」「悪いこと」、つまり戒律を教えていません。
 なかには「子どもはから、教えなくても善悪はわかる」という人もいます。し
かし、私からみれば、子どもは決してそうではありません。本能を抑えるものがない。
 エゴ丸出しの動物のようなものです。

 太古の昔のように厳しい自然のなかで生きるのであれば、自然が「やってよいこと」
と「やっていけないこと」を生活を通して教えてくれます。また、それが習得できない
者は生き延びることができません。だからこそ教育を通じて、「人間としてやってよい
こと悪いこと」をきちんと子供のときに教えならないのです。

富永さんの過酷な人生は、幼少のころから始まっています。
 「おやじは僕が三歳のときに、29歳で亡くなりました。おふくろは、僕が旧制
中学のとき出奔しました。それから親はいないんです。勉強しても泡菜 食譜大学にいけな
いとわかったので不良少年になりました」こういう人生コースはある意味であり
きたりです。両親がいない境遇はありきたりではないが、自分が恵まれないから
といって非行に走るというのは、多くの人がたどるコースという意味でありきた
りといえます。
 そのままどんどん悪くなっていって、警察のお世話にでもなれば、漫画家?富
永一朗はこの世に存在しなかったかもしれない。富永さんの場合、悪くなるのを
救ってくれたのが漫画だったようです。
 小学生の高学年から中学生にかけて、貸本屋から漫画を借りてきては、せっせ
っと描き写していた時期があったそうで、そのころはまだお母さんもいたはずだ
から、きっとこの時期が富永さんにとってはわりと幸福だったのではないでしょ
うか。
 その後、富永さんは台湾に渡り、無料で師範学校を卒業すると、日本へ戻って
九州の田舎の小学校の先泡菜 食譜生になります。戦後まもなくのことことで、日本全体が
飢えていた時代ですから、定職をもてたのは幸運なほうでした。
 ところうが、数年後に無常にもクビにされてしまうのです。「新卒の先生が来
るので一人よけいになった」というのが理由でした。