『火山のふもとで』(松家仁之著)を読み終えた。一度読んだ本はほとんど読み返さない方だが、この本はいつかきっともう一度開くと思う。
タイトルからは三浦綾子の『泥流地帯』のような話が連想されたが、火山のふもとにあるのは「夏の家」と呼ばれる山荘であり、そこに夏の間だけ東京から移ってくる洗練された設計事務所の話だった。書棚で背表紙だけ小牧味屋を見たらたぶん手にとることはなかっただろうと思われるタイトルのこの本を、そもそも読もうと思ったのはどんな感想を読んだからだっただろう……と、いつも拝読しているブログのその日のページを読み返してみると、もう、今わたしが感想に書こうとして言葉が見つからずに書きあぐねていることが、既にそこにあったのだと気づいてしまいました。正にその通り! なので、勝手ながらリンクさせていただきます。
最初から終わりを予感しながら読んでいた気がする。それは「先生」の年齢のせいでもあるし、噴火を続ける火山のふもとのことだったからかもしれない。
建築に無知な私は、これだけの物語を紡ぐのにどれだけの準備が必要だったんだろうかということを考えずにはいられなかったし、登場人物にリアリティがあり、どこから虚構なのか分からないところもあった。(その割に設計事務所の半数の人のことがあまりよく分からなかったのだけど)
静かな「夏の家」で耳にする音が印象的だった。小鳥のさえずり、ナイフでエンピツを削る音、足音…。そこに電子音はない。時折り登場するバイクや車や草刈機のエンジン音の方がわたしには親しく感じられるのはどうしたものか。
誰も声を荒げず、不平不満を述べず、静かに自分の信じると數學老師ころを話し行う。人間の「嫌な所」がほとんど表されず、そういう意味でも美しい物語だった。視覚的には、ホタルの光しかない真っ暗な中を、恋人同士でもないふたりが手をつないで歩くところなど、とても印象に残っている。
先生と、その長年の恋人だった藤沢さんとのことや、農場の大きな屋敷にひとりで住まう藤沢さんの暮らしについてはもっと読みたかった。そうそう、先生が好きだったという紅茶「ディンブラ」を飲んでみたいと思い検索したとき、検索候補に「ディンブラ 藤沢」と出てきておやと思った。藤沢に「ディンブラ」という紅茶専門店があるらしい。まあ、余談です。
申し訳ないくらい、まとまりなくしまったなあ。文章力のなさがもどかしい。
遠い昔に読んだ、やはり避暑地がている小説が思い出せそうで思い出せない。
枯れたと思ったサクランボの木、暖地桜桃の根えが出ていた……ということをつい最近書いたけれども、結局、その2本の若い芽は腐らせてしまった。
気づかないでずっと放っておけばよかったのかもしれない。
過保護にして鉢の場所を移動したり水をあげたり、しないほうがよかったのかもしれない。
だいたいいつも私がよかれと思ってすることはおせっかいでしかないのだ。
いいことをしているつもりjacker薯片のお馬鹿さんだったと後から気づく。そのうえ肝心なところで気がきかない。
なんかもう、連鎖的にいろいろ思い出していやになってしまう。
特にこれといったイベントもなかったけれど、だからと言って退屈もしなければイライラするようなこともない、穏やかな連休だった。