じっとしていると同じことをぐるぐる考えて落ち込んでしまうばかりだからと、やたらめったら歩いていた頃があった。「歩く瞑想」というのもあるそうで、「余計なこと」を考えずに歩いている内に思考が整理されるような気もしていた。
 
 楽器の練習も、歩くのも、時には読書も料理も、それらに集中することで他のことを忘れることができて、ストレス解消になると感じていた。
 
 でも最近、ちょっと違うなと思っている。まあ、あまり落ち込むことがなくなったせいかもしれないけれど、歩いている時も楽器を弾いているときも、何も考えないなんてことはなく、むしろ自由にいろんなことをたくさん、考えたり思い出したりしていて、それが楽しいのだ。
 
 集中して身体を動かしている時には、「そんなこと考えても意味ない」とか「いつまで過去の思い出に浸ってんの」とか、常識的建設的悲観的なことを言い出す「わたし」が出て来にくいらしい。その分、好きなように好きなことを思い浮かべることができるんだろう。

 つまり、わたしが心地よくなるようなことを頭に浮かべている時に、第三者的な目線で水を差すようなことを考えつくことこそが「余計なこと」なのだ。心くらい自由でいいじゃない。
  
 そんなわけで、先日も歩きながら変なことを思いついて「ひとりサスペンス劇場」というメモをスマホに残していた。よし、ブログに書いてやるぞとニマニマしながらそのときは思っていたのだけど、今はそれを「くだらなすぎるんじゃないの?」と冷ややかに観るわたしが居て、それなら「通学路のここが危険」という話でまとめた方が少しは意義があるんじゃないかとか、ああ、つまんない。